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空想と妄想の境界線
どうせなら、手首より首が良い。
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ちゃんと出るとは思うが確認してみる。
空白の時間だって僕等には愛しいものだと思えるのさ。
空想と妄想の境界線。

意味は推して知るべし。

そんな感じで自宅PCを再構築しました。

具体的にはHDDの容量を400Gほど増量。
アーンドWindowsXPの導入でございます。

来年末には次期Windowsが出るとかいう話もありますが、
まぁとりあえずは最新式のOSな訳で。
やっぱり2000と比較すると楽になってる面が多いです。
例を挙げると大容量HDDへの対応とか。
今までの2000だとレジストリ弄ったり結構面倒だったんでそれがなくなったのは嬉しすぎ。
まだ慣れてない部分もありますがそれなりに好調な出だしですよ。

しかしなんだね。
なんでXPだとデフォルトの状態があんなに隠蔽気味なのか。
スマートなイメージとか出したいのかもしれんが必要な情報は出しておこうよと。
タスクバーを隠すな、クイックランチを出しとけ、プログラムのリアクション遅すぎ。
デスクトップにアイコン並べようよ、あれ、人の個性出て面白いじゃん。
まぁ全部自分好みに設定しなおしたからいいんだけどー。
やっぱり自分の作業領域ってのは手に馴染んだ状態がいいです。
ちゃんと設定で対処できるようにはなってるし、とりあえず良しとしましょう。

それ以外の部分としてソフトウェアの影響に違いが出ててちょっと面白い。
2000で使っていたのと同一のソフトウェアでも仕様が大分異なる。
2000だとここまで機能制限を受けていたのかといろいろ驚いている訳だ。
いちいち一つ一つの変更点を書いても仕方がないので省略するが、
感想は「乗り換えて良かった」の一言だろう。
さらば。Windows2000。セカンドPCを導入するときまでゆっくり休みたまえ。

とまぁ今回の記事は動作確認の意味も込めてなのでこれくらいで切り上げる。
あとで時間があれば、再び妄想と空想の狭間を揺蕩う事としよう。
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体調不良なので愚痴しか書いてません。
どうにもこうにも体調不良。
空想と妄想の境界線。

頭がボーっとして日々の行動に支障が出てます。ヽ(´▽`)ノ
そんな訳でお仕事もお休み。
のんびり~まったり~。
あああ、頭痛い…。

先日も原付で人身事故起しそうになるくらい頭がボーっとしてます。
やばーい。まずーい。こんな状況はイカーン。
なにか!なにかリフレッシュできるものを探さなければ!!

なにがあるだろう。
F1はもう観たし、小説読むほど頭が動いていない。
映画じゃ上映中に寝ちゃいそうな雰囲気だしこの辺に美味いお店も特に無い。
月見バーガーはとりあえず食ったけどあれは1年に一回で十分だし…。
ここはもう酒か?酒浴びるように飲んでそのまま泥酔して爆睡ですか。
いーやー。そんな人生嫌ぁぁ。

原付乗り回すのも熱いわ危ないわで避けたいし…。
もうどうしたらいいんだ。

仕方が無い。あいつのところにしけこもう。
こういう時ばかりだな。こんなことは…。
いい迷惑かもしれん。そろそろ考えるべきか。

予定表。
メモ書き。

今後の予定計画表。
・F1イタリアGPの観戦。
・買い込んだ小説3冊を読む。
・NANAか容疑者室井慎次を観に行く。
・安売りしていた焼きソバを早いうちに食べる。
・一緒に買った納豆の賞味期限にビクビクしながら食べ切る。
・布団を干す。
・ダンシング☆ファブリーズ。
・わかばのカートン買い。
・原付のメンテナンス。
・中型二輪免許情報収集。
・扇風機の清掃。
・月見バーガーを食す。
・唐突に誰かにm9(^Д^)プギャーする。

萌えってよく分からない。
今日は簡単に済ませよう。
空想と妄想の境界線。

この前の些事について簡単に箇条書きしていく。

私は道を歩いていた。
後ろから来た自転車が私を追い越した。
制服姿から察するに女子中高生といったところか。
その先にある上り坂へと向かうようだ。
勢いを上げていく。
立ち漕ぎで坂道に挑むようだ。
上り坂に差し掛かった。
苦しそうだ。
彼女を癒すかのように、風が吹いた。
捲れあがった。
腰のラインまで見えた。
ブルマだった。
体力の限界か、それ以外の要因か。
彼女は自転車を降り、そして自転車を手で押しながら坂道の先へと消えていった。

この小さな出来事に、貴方は何を思う?

[READ MORE...]
視界を広げよう。そして手元を見よう。
最近は読書範囲を広げていない。再度模索しようか。
空想と妄想の境界線。

本自体はよく読む。余り時間などに暇を潰す程度だが。
ただその対象が過去に読んだ自分の好きな本ばかりになってしまっている。
停滞は死だ。早めに改善しよう。

とりあえず区内から脱出する形で古本屋の情報を3つ獲得。
まぁすべてブックオフな訳だが。
こういうのは環境を変えることで食指の動きが変わる。
その店舗の風とでも言おうか。
身体に突き刺さるインスピレーションに違いが出るものだ。
趣味趣向をも切り離すほどの衝撃を期待しながら周遊しようと思う。
どうでもいいが、今「しながら」と打つ時に「しながわ」と自然に指が動いた。
…別に意味はない。

そんな話の途中だが停滞するつもりもまた強くある。
新たな世界ではなくある意味見知った空間を楽しみにしているのだ。
その理由が森博嗣氏の新作「τになるまで待って」。
予定表で3ヶ月くらい前からその存在は把握していた。
それが気がついたら発売まで一週間を切っている。こんなに嬉しい事は無い。

森博嗣氏の著書を読むのはこれで36冊目ほどになるのか。
もちろんまだ読んでいないものもあるが飽き性の私が良く続いたものである。

私がそれほど惹かれている理由はミステリーという認識よりキャラクターの魅力のためだと思う。
基本的に創平君萌えである私だが、たまには「簡単なことよ。」とか言ってみたい。
もしくはポカーンとしながら彼、彼女等の話にただただ聞き入ってしまう刑事になりたい。
立松になりたい。鵜飼になりたい。端役でもいいからその人格に触れてみたい。
そう思わせるほど心奪われてしまっている時点で私の敗北は決していよう。

そのような状態だからミステリーであっても謎を解こうなどと考えながら読みはしない。
もちろん全否定しきれる物ではないので曖昧には考えてしまうが、
基本的に登場人物たちの一挙手一投足に注目して読んでいる。
よって私に対する著書の感想としてミステリーについて語るのはナンセンスだ。
ナンセンスと言いたかった。それほど強く否定するつもりは無い。(*´∀`)
だから謎解きの関しても簡単に納得し、自分勝手な読後感を堪能している。
なんて著者に都合のいい読者だろうか。私の優しさが滲み出る現象の1つと言えよう。

そんな本に出逢ったのは埼玉時代の地元の図書館だった。
その蔵書量には今も後ろ髪を引かれる想いだ。
現在の居住地である川崎市の図書館を3つ合わせても勝負にならない。
今をもって埼玉への帰郷を望む唯一の心の声、それがあの市立図書館である。

話が逸れたがとにかく楽しみだ、という事だ。
九月になるまで待って、と言われてじっくり待った。後は期待するだけである。

鳴くよ 男が にゃ~にゃ~と。
最近、唐突に「にゃ~」と鳴いている自分に気付きます。
埜鷹です。こんばんわ。

困ったものである。
主にフラストレーションが溜まった状態でその現象は起こっているようだ。
さすがにこの状況は見過ごせない。
まだ<語尾につける>状態までは至っていないので意識的に消去していこうと思う。

しかしこれは仕方が無いのかもしれない。
生粋の萌えキャラである私としてはこのような行動が世界から要求されてしまう。
今回の行動も私の身体的変化というより世界からの影響が大きいと予想する。
病んだ世界を癒そうと。
小泉ではダメだと。
世界が私にそう言っているのかもしれない。

という流れから衆院選の話を書こうと思っていたが変更。
「にゃ~」について書こう。

私のこの行動はある人物の影響であると思われる。
その人物とは遠い昔に私と二人の時間を共有した人物である。

現実を認識している二次元ヲタは言う。
「こんなキャラ実際にはいねぇよ」と。
確かにその通りだ。脚色の強い造形が多い事は確かだ。
だがそれが確実にいないとは言い切れない。一端を垣間見る事は比較的容易だ。

姉や妹の着替えを偶然見てしまうこと然り。
そして「にゃ~」と鳴く女もまた然り。
現実にちゃんと存在するのである。

とはいえその人物との関係は今をもって何も残ってはいない。
それにもかかわらず、何故今になってその影響を受けるのか。

思うに私の脳のデフラグが正常に作動しなかった為ではないか。
本来ならば快い思い出を前面に残し、悲しい思い出を深く仕舞い込む。
だが今回は良いも悪いもまとめて奥底に沈み込ませ、
「にゃ~」だけが前面に取り残される結果となっているように思える。
そのために彼の人物は私の中で「にゃ~の女」という認識になっている。

これは非常に心苦しい状況と言える。
彼の人物との関係には大切なものが多く紡がれた。
それと同じほどの苦しさもまた紡がれた。
私はその両者を切り捨てるつもりはない。
誇るべきことではない、だが悔むつもりもないのだ。

もう一度、今度は自らの意志を持って、記憶の再構成処理を行おうと思う。
どうかこの眠りの中で、再びあの笑顔と泣き顔に出会えますように。

お休みなさい。



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