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空想と妄想の境界線
どうせなら、手首より首が良い。
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カカカカカカカカ、カートゥーン。
未知との遭遇を、既知との遭遇を渇望する者達の集い、
空想と妄想の境界線。

カートゥーン。
時代には波がある。時に謳歌を極め時に静寂と共に忘れ去られる。そんな波が。
それは世界的なものであっても、一個人のものであっても変わりは無い。
そして私個人としては、ここ数週間ほど継続してカートゥーンが上向いている。

確認してみると去年の7月、ほぼ1年前の私はある書店に立っていた。
山手線と総武線が交差するその街の、
濃度の高い書物を扱う濃度の高い建物の濃度の高い階層の一つ上の階層にて、
私は一般書物を漁っていた。断じて濃度の高い書物を漁っていた訳ではない。
私は物事を選択する際に直感を重視する。それゆえ私は事前情報の収集は行わない。
所謂ところのジャケ買い、またはあらすじ買いである。
ただこの時は少々事情が違う。その後に友人との逢瀬が予定されていたのだ。
よって書物を買い漁る訳にはいかない。しかし直感によって導き出された書物も興味深い。
私は後々にその成果を確認できるよう、抽出された情報をメールに認め自らへと送信しておいた。
それが去年の7月24日土曜のことである。
日付の確認が可能であった理由も理解していただけたと思う。

さてさて最近になってカートゥーンが上向いてきている私である。
わざわざ労力を費やしてまで認めたその情報。
一年という歳月をかけてじっくり!と熟成されたその情報を、私はついに解き放つ覚悟を決めた。

長々と書いてきておいてなんだが、
ここまでの執筆内容は、完全な、蛇足である。
というわけで読んでみたカートゥーンを挙げていこう。

いばらの王
吼えろペン
エマ
アクメツ -悪滅-
ARIA
ちょこッとSister

どうやら私の直感というものはそれほど特異な存在ではないらしい。
調べてみるとその多くが比較的メジャーな存在と言えるものばかり。
まぁ仕方が無い。事前情報無しでの結果、平均以上のカートゥーンを引き当てる鋭さを誇ろう。

ARIAとちょこッとSisterに関しては作者買いである。
この2作は存在を認識して即確認したカートゥーン。
夢空界とぼくのマリーは個人的評価の高い作品であったがゆえの抽出。期待通りの出来に満足。
吼えろペンは富士鷹ジュビロ買いである。
反論は許さない。富士鷹ジュビロであるがゆえに富士鷹ジュビロなのである。
アクメツ -悪滅- は予想とまったく内容が異なるものだったのが印象的だった。
普通にガンアクションものだとばかり思っていた。
まさか風刺カートゥーンだとは思わなかったがその出来は秀逸。
深く考えすぎると楽しめないだろうがそれも良し。鶴田議員で爆笑させられた。
エマは多少事前知識があったかもしれない。その名称に聞き覚えがあった。
とても丁寧に書き込まれたカートゥーンだという評価。
一つ一つの動作が心理描写として効果を表しているのが印象的だ。
ここまで丁寧な描写がされているカートゥーンは久しぶりだったので喜ばしい。
このようなものが継続して世に出ることを期待したいと思わせる作品。
いばらの王は完全なジャケ買いである。
ピンポイントで私の脳を刺激した作品。
定期的にその存在を思い出しつつも結局これまで触れる事の無かったカートゥーン。
所謂閉鎖空間ものでありサスペンスものである訳で、
人によっては飽き飽きしているかもしれないがそれでも私はそういった境界条件が好みである。
死へのカウントダウンと正体不明の怪物との相互効果を作品の中で上手に描かれている。
物語も終盤に差し掛かっているようなので最後まで期待したい作品だ。

とまぁダラダラと書いてきた訳だが。
実際には他にも多数のカートゥーンに触れ、一時の娯楽を満喫している。
言いたい事を問われるとこれが中々に回答しづらい状況ではあるが、
ちらしの裏がわりということで許すがいい。

とりあえず読みたい奴は私の家に来なさい、ということで自分勝手に締めてしまおう。
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嘘?本当?どっちやねん。
事実と認識の差異に贖い苦しむ者達の集い、
空想と妄想の境界線。

認知する人間が増加した事が原因か、
もしくは主とする着眼点が推移した結果か、
私は紅茶に通じた情報を目にする事が多くなった。
意図したことではない。私が求めた情報に付随するようにそれがある。
その存在は、私の心に苦々しい思いを募らせる。

私は古くから煙草という存在に依存している。
日々の合間に、多忙を極めようと、また安らぎの一時に、私はそれを求める。
因果応報。その繰り返しの中、私の舌は狂い続ける。
そんな自らを否定するかのように私の周囲は濃度を高めていく。

そんな私にとって紅茶という存在は忌避すべき存在であると言える。
私の舌は、それを堪能し評価しうる存在であるのかどうか。
その権利を私は持ち得る存在なのかどうか。
そのような感慨が私を包み込み心を掴み挙げる。
味覚障害などといった深刻な問題はない。
薄い味わいを判断する事も可能ではある。
だがそれが本来の味覚であるのか、狂い果てた挙句残された結果ではないのか。
それを判断することができないがゆえに私の心は苦々しい。

自分の身近にある「赤」という色に対して疑問を持ったことはないだろうか。
赤い色が赤であると断言する事が私にはできない。
地球上で赤を認識できるのは太陽光の存在と対象物による反射のためである事は周知の事実だ。
つまり既存の太陽光とはまったく別の構成をもつ光源を主とした世界があれば
その世界における「赤」は私の認識の中にある「赤」とは別のものになる可能性がある。

更に理解のし易い話を挙げよう。
私は小学生の頃、理科の授業において教師から以下のような質問をされた事がある。
「地球はどのような形をしているのでしょうか?」
当然のように私は「丸い」と答えた。
授業内容としても、世界に溢れる情報源からも私はその事実を認識していた。
だからなんの疑問も無くそう答えた。
続けて教師は言う。
「地球って本当に丸いのでしょうか?」
その時私は感情を押し殺した。心の中に溢れていた感情は「怒り」である。
ふざけている。当時の私はそう認識していたと思う。そして悔しかったのだ。
「教科書に載っているのは本当のこと?」
「テレビでそう言っていたからと言ってそれが正しいとどうして分かる?」
私の認識は恐らく間違ってはいない。正しいものだと思う。
だが当時の私は教師の発言を否定するだけの情報を持っていなかった。
だから怒りを覚えた。子供らしい責任の転嫁。私にとって数少ない子供としての記憶。
理科、更に言えば科学という学問においては実証こそが真である。
教師はそのような意図でもってこの問いを投げかけたのだと思う。
だが私が最も強く認識したのは「常識の不確定さ」である。
私を根底から支えている常識が如何に脆弱なものであるか、
そしてそれを否定されることの恐怖。
それが当時の私に怒りという感情を生み出したものの正体である。
恐怖に怒りで対峙する。そんな原始的な、本能的な行動を取った瞬間だったのだ。

私は自分の感覚や認識を過小評価する傾向にある。
先の紅茶の件は感覚について。
次の赤という色の件は認識について。
明確にできないもの、否定しきれないものを深層心理で排除する。
もちろん、そういった事例は無限に存在しそれを思慮していては生きてもいけない。
取捨選択するだけの大人にはなっている。だがそれを完全に忘却するつもりも無い。

なぜなら、こうした思考以上に時間を無駄に過ごす方法が無いからである。

やりたいけど買いたくない。アンビバレンツ。
温故知新は幅広く適用されるべきだと考える者の集い、
空想と妄想の境界線。

PSP。プレイステーションポータブル。
UMD射出騒動やらアダルト進出やら話題に事欠かない携帯ゲーム端末。
前々から気にはしていたが、やはりどうにも納得できない。
今回の記事はPSPの納得できない事に焦点を当てる。

PSP用アドベンチャー『やるドラ ポータブル』4タイトルの発売日が7月28日に決定
はっきりと言おう。やりたいよ。
PS版はやらなかったんです。ていうか当時PSは持ってなかったし。
再販自体は特に問題なのではない。むしろ歓迎。しかしだ、何故PSP?
電車の中でやるドラか?病院の待合室でやるドラか?路上を歩きながらやるドラか?
正直あり得ない。
かと言って自室内でPSPも寂しいだろう。
やるドラである、ドラマである。携帯端末の小さな画面では価値も下がる。
端末の定着を狙った多岐に渡るキラーソフト攻勢は企業活動として評価しなければならない。
しかし実を取った行動でなければそれは滑稽と捕えられても仕方があるまい。

こういった行為が苦肉の策であるのは理解できる。
世論として、ゲーム端末を持ち運ぶ事ができるという特徴に利点はないのが実情なのだから。
ゲームというジャンルへの対外的認識の悪化、
外出時におけるプライベート空間を区別する境界の不確定さ、
外出時における遊戯が快適に行えるレベルのゲームが既に網羅されていること。
携帯ゲーム端末を新規に販売する必然性など何も無いのである。
そんな状況でそれでも普及しなければならないが為に携帯端末である事が一切加味されていない、
端から見れば不可思議に思える行動にならざるを得ないのだろう。

しかしそうして築き上げたものに価値はあるのだろうか。
普及のためにイメージを俗物化させることは結果として低迷を早める結果となるのではないか。
携帯することができるが故の利点が無い限り実質的に生活に馴染む事は不可能だろう。

こういった状況を打破する為に必要なのはゲームとしての面白さや話題性ではない。
コンテンツの流通と価格である。
例を挙げるならば小説と新聞。
書店や購買による入手経路の容易さとその低価格性が重要なのである。
この2点を構築していくことは非常に時間のかかる行為である。
規格化されているならともかく一企業の取り持つ規格では実質的に不可能と言える。
それを可能とするために必要なのが完備された無線通信というインフラストラクチャーだ。
それが完備され、更に欲を言えば公共施設化された段階で
初めて携帯ゲーム端末はその価値が見出される。

後はコンテンツの良し悪しが結果を決める。
やるドラやガガーブトリロジーでは話にならない。
ポーカーやじゃんけんのような高度なゲームを創造できるかどうか、
それが携帯ゲーム端末の価値を決める要因となるべきなのである。

お堅い話はこんなもんで以下ネタ。

ジブリ格闘ゲームキャラ選択画面
 うは、惚れるね。
猫耳新幹線
 機能美と芸術性のコラボレーションがここに。
椎名高志 絶対可憐チルドレン週刊少年サンデー33号から連載スタート
 待ってた。復活に期待、サンデー復調の鍵となれ。

衛星写真でニヤリ
空を見上げては想いを馳せ、地球を見下ろしては愛を確かめる者の集い、
空想と妄想の境界線。

というわけでGoogleMaps第3弾。
今回のテーマは「日本の衛星画像が楽しいよヽ(´▽`)ノ」

最大解像度はまだ「主要都市のみ」なわけですが、これは仕方の無い事でしょう。
「主要都市」が閲覧できれば大体困る事も無いですしね。
なにはともあれいろいろと動かしながら楽しませてもらっているわけです。
千葉ねずみーランドとかー、東京ゆで卵とかー、なんかよく分からないけど巡礼の地とかー。

足を伸ばして我が母国、サイマターを見てみるとまた面白い。
これまでに慣れ親しんだ世界を衛星軌道上から見下ろすのは新鮮です。
埼玉スタジアムとかこんなに鮮明。
さらには我が母校なんかも綺麗に映ってます。
(左が小学校、右が中学校、一枚でフォロー可能なほど世界が狭いのがまたGood)
さすがは我が故郷ですね。「主要都市」の一つですから。最大解像度でカバーされています。
埼玉の中心は南東部ですものね。当然です。
あれ?なんか強引に政令指定都市になったひらがな市がよく見えませんがなぜでしょう?
ん~僕子供だから良く分かんないや。
京浜東北線?埼京線?埼玉の主要幹線線路は<<東武伊勢崎線>>ですから!!

とまぁこんな感じで無意味に勝ち組気分を味わえるGoogleMapsは素晴らしいです。
まだ検索収集不足で衛星画像の取得時間が良く分かりませんのでもう少し調べてみましょう。
リアルタイムではないようですが数時間くらいの間隔で更新されるようなら十分嬉しいですね。
リアルタイムだと更に楽しいんでしょうが処理情報量がすさまじい事になるでしょうし。
今後の進歩に期待したいと思います。

・後記
椎名氏、この衛星写真について調査をしたいと思っている。
乗用車の出動を要請する。

街灯
週末は中途半端な一時を。
空想と妄想の境界線。

なぜか数日前のことを書き記すのが前提となっているこのブログ。
問題は無い。文句は無い。言わせない。ただ我道を貫くのみ。
勢い余って前回、前々回より過去、先週の土曜のお話が始まる。
------------------------------------------------------------------------------
その日は再会の日。
一年以上会っていなかった友人との再会の日。
懐かしい顔。変わらぬ表情。そして以前より少々大人びた雰囲気に、僕は目を逸らして笑うのだ。
彼女から見ると僕は変わっているのだろうか、そんな考えが頭を過ぎる。
恐らく、そんなことは無いだろう。そう思えている間は、大丈夫。
年月が作り出した彼女との時差も修正に労力は必要としない。
そんな自然な関係は、夜道で見つける街灯のように暖かい。

彼女は、相も変らず賑やかに話し、盛大に笑う。
そんな彼女に影響されて、僕らしくないと思いつつも賑やかに話し盛大に笑う。
穏やかな時間が流れ、それでも尽きる事無く会話は続く。
時間を忘れるような世界の中で、僕はそれに気がついた。
彼女は変わってはいない。だが掴み取っている。
幸福を、その手にしっかりと握り締めて。
そう気がついた時、その様子を不思議そうに眺める彼女の為に、僕は目を逸らして笑うのだ。

食事のために連れ立って夜道を歩くその中で、僕は静かに彼女を祝う。
その声は届いていない。届かせたくもない。だからこそ意味がある。
見上げるとそこには街灯の煌き。真っ直ぐに街灯を見つめて僕は笑う。
突然立ち止まった僕に、彼女が呼びかける。僕は笑顔で応えて彼女の元へと駆け寄る。
その時の僕の笑顔は、夜道で見つける街灯のように暖かい。
----------------------------------------------------------------街灯----------
というわけでフィクション90%で書いてみた訳ですが、
実はこの話は書きたいことと一切関係がありません。

書きたいのはその後に行ったDenny'sの氷黒みつ宇治金時というデザートが激しく美味だと言う事。
抹茶アイスの濃厚な味わいがたまらん。
黒みつの甘さも泣けるくらいジャストフィット。まるで変態仮面のようなフィット感。
マジ(゚д゚)ウマー

来週あたり今度は一人でも食べに行こうかと考え中ですが一人だと時間を選びたくもなるな。
「ファミレス侮る事無かれ」これがその日の教訓でした。
気になる人はDenny's公式HPを確認しましょう。

氷黒みつ宇治金時だけだと寂しいので無意味に文章書いてみましたが
どちらも中途半端な感じになって個人的には満足。
一行目で設定した目標が達成できたので良し。

では、今度は別の境界線で逢いましょう。

吉牛じゃなかった、参戦してるのは赤牛。
楽しい事、笑える事こそ人生なれ、が座右の銘。
そんな生物達の集い、空想と妄想の境界線。

F1アメリカGPの話がなんともお堅く暗い文章になったので連続投稿。
人生笑わなきゃね。海の底へと沈みながらも「笑ってよ・・。」と笑顔で訴えた少女のためにも。

ネタが古いのはともかく。
F1アメリカGPで面白かった点を羅列。

・アロンソの無線内容で如実に表れた小者っぷり。
 他のミシュラン勢が参戦していないかどうか必死になって確認してるのが面白い。
 勝負だからダメとは言わないがランキングトップの余裕は見せて欲しかった。

・フェラーリの無線、100週だって走れる発言。
 全世界に聞かれているのを承知の上でチームラジオでその発言。
 普段ミシュランタイヤに辛苦を舐めさせられていることが原因か?と疑ってしまう。
 対するミシュランは10週走れない状況で爽やかに行われた嫌味な発言は面白い。

・ミナルディの代表、ポール・ストッダートのサムズダウン。
 レース中に国際映像へ向けてのサムズダウンは見た瞬間に爆笑させられた。
 FIA上層部と仲が悪いのは有名だがそんな直接的な表現を
 チームのドライバーが走行している状態でやったのは脅威的。
 そんな情報開示しすぎなストッダートが私は大好きです。

・フェラーリ、チーム同士でニアミス。
 バトルをしているという意味では今回のアメリカGP唯一の見せ場。
 それ単体で観れば良い点だが、これまでのドライバー同士の確執、
 ニアミス後のチームオーダー(以後のバトルを暗黙で禁止)、
 レース後には一切顔を合わせずに表彰式からインタビューまで終わらせる両者の雰囲気、
 そういった諸々のチーム事情を考慮すると非常に笑えるシーンになる。

・3位表彰台!一人で盛り上がるモンテイロ。
 この数年は最下位争いしかできなかったジョーダンにとって表彰台獲得は非常に名誉な事。
 さらにモンテイロは今年参戦した新人であり、当然初表彰台である。
 レース後の喜びを抑えきれない様子は素直におめでとうと言いたい。
 しかし会場はミシュラン勢不参加によるブーイングの嵐、
 1位2位のフェラーリは上記の問題で不穏な空気。
 そんな中、喜びのあまり一人シャンパンファイトを始めつつも
 振り返れば他のドライバーは既に退席済み。
 一人取り残されるモンテイロの姿と一振りだけ放出されたシャンパンは涙無くして語れない。
 テレビの前で笑ってしまってごめんなさい。
 でもモンテイロの空気読めなさ加減が面白すぎなのがいけないんです(ノД`)

そんな感じでレースとして楽しめるGPではありませんでしたがそれ以外として、
つまり今後のF1においてネタとして使われそうな事柄が多数見受けられたGPだったと言えます。
こういう楽しみ方は純粋なF1ファンには失礼かもしれませんが、
やっぱり何事も楽しまなきゃ損ですから。楽しめるだけ楽しみましょう。
こういった珍事は無いに越した事はないのですが、
一時の非日常ということで一観戦者としては納得しておこうと思うわけです。
楽しめる人には楽しめる、そんな素人にはお薦めできないGPだったということで締めておきましょう。
観せるのか、魅せるのか。
ショウとスポーツの鬩ぎ合いに涙する者の集い、
空想と妄想の境界線。

というわけでF1アメリカGPが行われた訳です。
非常事態とも言えるような状況の中でですが。

20台中6台でのスタート。
サーキットに響き渡るブーイング。
コース上へ投げ込まれるペットボトル。
そして痛々しいほどの表彰式。

原因がミシュランであることは間違い無い。
しかしGPが今回のような事態になったのはFIAにも問題がある。
これはF1が「スポーツ」なのか「ショウ」なのか不明瞭であることが問題なのかもしれない。

スポーツとして見ればFIAの考えは正しい。
ルールに厳格であることは必要不可欠だ。
ショウとして見ればミシュランの対応は間違っていない。
柔軟な対応でレース自体を成功させることが観客に対する責務だろう。

結果としてGPはルールに則った正常な形で進行した。
ただそれが観客にとって到底満足できるものではなかっただけのこと。
安全性を重視したミシュランの考えは否定できない。
人を死に追い遣る行為がショウとして認められる訳がないのだから。
最低限の安全が保障されるからこそショウはショウとして成り立つのだ。

今後必要になるのはスポーツでありショウでもあるという矛盾をどのように変えていくのか。
アメリカのモータースポーツでは比較的ショウという要素を優先させている。
しかし主体となるヨーロッパ社会の気質が原因か、F1ではそういった概念に否定的な事が多い。
今回の事態からF1の方向性がスポーツかショウに定まっていくならそれも良い。
だがこれまでの歴史から考えれば、結局なにも変わらずに進行すると予想できる。
このような状況ではF1の低迷は避けられまい。
今回の騒動は体質の改革を行うには丁度良い機会だ。
是非とも今後のF1のあり方を明確にしていただきたいものである。

それができないのならば、GPWCでの刷新に期待するしかないのかもしれない。

回るジェットコースターに乗りましょう
自分の進む道を決めるのは自分ではない。
世界を書き記す大きな力に、人が一人で贖う事はできないのだから。

そんな周囲との関係を強く思わせるGPだったのが今回のF1カナダGP。
なかなかに複雑な関係のうえで成立した順位だったのではないかと。

ルノーのチーム内での関係、チームオーダーの是非。
マクラーレンの戦略とSCのタイミングの関係。
BARとマクラーレンの戦力差の関係。BARとフェラーリの位置付けも。
そしてレーシングチームとFIA(又はスチュワート)の関係もしかり。

外部の要因に屈せずに冷静にレースを続けられたドライバーが順当にチェッカーを受けた。
そんな印象のGPでした。

良くも悪くもジェイソン・バトンに掻き回されたレースだったのではないか。
ポールを取りつつもルノーに先行され、逃げられる。
マクラーレンを抑えつつも3ストップなので早々にピットイン、
ルノーとマクラーレンの間に中途半端な差を作る。
ミハエルに突付かれて最終シケインでウォールに激突しSC導入。
リタイアに終わりつつもカナダGPの中心にいたのはバトンで間違いないでしょう。

わざわざ書いてみたが、別にこのような状態も以前から続く形式的なものではある。
チームラジオで流れた感情的なアロンソの発言が印象を深めただけ。
その落ち着きの無い有り様はドライバーズランキングNO.1として不安にさせるものではないか。
マシンの性能だけで戦うようではNO.1は難しい。
抜きにくいサーキットで後方車両を押さえ込むだけでは勝てないでしょう。

アロンソの弱さみたいなものが顕著に表れはじめたF1GP。
インディアナポリスはルノー向きのサーキットですが
なんとかルノーを追い詰めるような展開を期待したいものです。
文化・分化・喧嘩・ビルヌーブ大丈夫?
文化的な行動を心掛ける者達の集い。
文化人、埜鷹です。

というわけで映画に着目した今週末。
昔、見たいと思いつつも行動に移さなかった映画を今更ながらに鑑賞する。
「オーシャンズ11」(12ではないのがポイント)
「I ROBOT」(ウィル・スミスだし)
「スピーシーズ」(日曜洋画劇場)
「Alone in the Dark」(タイトル買い)
「箪笥(たんす) 薔花、紅蓮」(再確認)
「劇場版名探偵コナン・銀翼の奇術師」(オチ担当)

更に前日のF1カナダGPフリー走行&予選のチェックも含めてコーヒー片手にテレビ三昧の一日。
これほどの数に挑むのは久しぶりなので中々に疲れた。
しかしながら相応に充実した時間となった事もまた事実。

・ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットはさすが。
 渋い、かっこいい、お話のまとめ方も綺麗。噴水前は惚れる。
・内容としては二番煎じもいいところ。
 アクションとCG、ウィルスミスだから許せる。がハロワの方が・・・。
・ホラーは好きだがスプラッタはあまり好きではないのを再確認。
 もう少し彼女の心情に着眼点を置いてくれれば傑作になれたかも。
・狙いどおりの雰囲気が体験できたのが嬉しい。
 ちょっと展開が強引すぎる気もするけど雰囲気が好きだからOK。
・もう4回くらい見てるがラストの感慨深さは凄いものがある。
 姉役の人は表情が上手。才能ってやつかな。今後も期待。
・蘭に無茶させすぎ。キッドはいいものだ。快斗の連載マジ希望。
 謎はそれほど深くないけど伏線とか丁寧に張ってて余韻が心地良い。
 コナンだからと適当に見てたが再評価。

カナダGP予選結果には驚いた。
まさかBARがこんなに早く上位に来るとは思わなかった。
単に燃料積んでないだけかもしれないが、バトンの喜び具合を見てるとちょっと期待してしまう。
FIAに一泡噴かせてくれという気持ちも込めてBARを応援してみよう。
もしくはフェラーリかマクラーレンが勝ってくれることを期待。
アロンソ、そろそろ休憩してください。ブリアトーレ、彼女とバカンスでもしてきて。
そろそろ本戦に向けて雑務を仕上げますかね。
CS入れたい。でも無理っぽい。せっかくの地上波生放送、存分に楽しもう(ノД`)
LTも実況スレも準備OKだチクショウ。
レバーはちょっと苦手です。
幸せを構成するのは愛でしょうか。冒険でしょうか。エロでしょうか。
私は自由だと思います。ハッピーマテリアル。

というわけで週間少年マガジンで連載中の魔法先生ネギま!を読んでみた。
事の始まりはYahooの記事だったか。
アニメ版のOP曲をオリコン1位にする動きがあるとかで興味を持った。

10歳の魔法使いが女子校の先生になり、生徒との関係を通じて成長していく様を描いた漫画。
こんな設定の時点で大して期待もできないものだと思っていたがこれがなかなか面白い。
ドタバタさ加減と少年漫画っぽさが上手い具合に組み合わさってて高評価。
少々痛いところもあるにはあるが予想していたレベルが痛すぎるくらいだったので許容範囲内。
頭を空っぽにして楽しめた。
しかしこの漫画に関係するWebサイトの多いこと。
軽く探すだけでレビューサイトがごろごろと出てくる。
その中にはいくつか深すぎるほど深い考察がされているサイトもあり、
いかにこの漫画が丁寧に作られているのか良くわかった。
そういった幅広い読者に対応できる漫画ってなかなか無いので驚き。
萌えという言葉だけで簡単に判断するのも問題だと再認識、いい経験だ。

特に感嘆したのは学園の設定とその表現について。
これだけ学園都市を立派に都市として表現しているものは見たことない。
所在地が埼玉っぽいところも高評価の理由。サイタマーヾ( ゚д゚)ノ"
世界観を壊さずに最後まで続けて欲しいものだ。
今後も定期的にチェックしようと思いつつ、今度はスクールランブルとやらも読んでみよう。

とりあえず龍宮さんは貰っていきますね。

サッカーは大変だね
サッカーにそれほど興味は無いのに
周囲の熱気に押されて仕事を早めに切り上げてまで生放送を観戦する者の集い、
空想と妄想の境界線。

今更W杯ネタかよっという突っ込みは窓から投げ捨てろ。

なぜかバーレーン戦も北朝鮮戦もがっちりチェック。
もともとバーレーンはF1開催国であることもあってその存在には注目していた。
それもあってワールドカップには日本とバーレーンが勝ち進んで欲しかったので
バーレーン戦はなかなかに複雑な心境での観戦となった。
日本が負けてもまだまだチャンスはあるし国内でのW杯熱も過熱するだろうから
多少バーレーンよりの応援になっていたことは否めない。
しかし後半のバーレーンの動きの悪さは見ていて痛々しいくらいだったのでさくっと諦める。
小さな国なので大変だろう。
サッカーもそうだが不法滞在者の増加対策も頑張ってください。応援しています。

北朝鮮戦について。
試合そのものより出場停止処分になった選手の楽しそうな観戦具合の方が面白かった。
なにあのピクニック気分。
中田英寿の笑顔が印象的な試合でした。
最後の方で乱闘(微弱)になったのも優。
端から見た印象だと日本の方が悪いかな。
北朝鮮側としては敗戦ムード、さらにW杯出場が不可能になるって状態じゃイラついても仕方ない。
ちょっと我慢して普通に起き上がってくれてればあんなことにはならなかったでしょう。

なにはともあれW杯出場決定おめでとうございます。

一つ欠点をあげるとすると・・・。
せっかく監督がロベルトっぽいのに翼君がいないこと。
やっぱカズだろ。カズを呼べ。カズを出すのだ。じゃなきゃW杯には勝てないんだよ(ノД`)

あ、香取慎吾さん。あまり無理をなさらないように。
普段の貴方が大好きです。はい。


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